HOUDINIのタグに書いてある Do more with less という一文が好きだった。スウェーデンの空気をまとったミニマルなデザイン。着ているだけで、北欧の森を歩いているような気分になれる。Norrønaのロゴを見れば北極圏の稜線が浮かぶし、Fjällrävenのバックパックには半世紀分の冒険が詰まっている。
正直に言えば、ギア選びの半分は見た目と物語で決めている。
ただ、十五年ぐらい色々試していて、どうしても見過ごせない事実がある。日本という環境で、日本人の身体で、毎日着るものとしての機能性を突き詰めると、モンベルに勝てるブランドがほとんどない。かっこよくはない。あのロゴを見るたびに、おじさん感が全身を包む。でも、機能で嘘をつかない。
まず気候の話をしなければならない。北欧のアウトドアブランドが想定している寒さと、日本の寒さは根本的に違う。スカンジナビアの冬は乾燥していて、気温がマイナス20度まで下がっても、空気中の水分が少ないからウェアの中が蒸れにくい。雪もサラサラのパウダーで、生地に貼り付いて溶けることが少ない。
日本の冬、特に日本海側や本州の山岳地帯は、世界でも例を見ないほど湿った雪が降る。重い雪が生地にべったり付着して溶け、その水分がウェア内部の湿度をさらに上げる。気温が0度前後で推移する日本の低山では、行動中に大量の汗をかき、停滞すると一気に冷える。この0度付近のウェットな寒さが、乾燥した極寒とはまるで別の敵になる。
モンベルの製品設計は、この日本特有の高温多湿と向き合い続けてきた結果だ。ジオラインに使われているランダム異形断面繊維は、糸の一本一本にランダムで深い溝が刻まれていて、毛細管現象で汗を一気に吸い上げて広範囲に拡散させる。繊維同士が密着しにくいから肌にべたつかないし、繊維の隙間が空気の通り道を作って速乾性も高い。湿度が高い環境でこそ真価を発揮する設計になっている。ちなみに十字断面繊維はモンベルの別素材であるウイックロンの特徴で、ジオラインとは仕組みが違う。ストームクルーザーの透湿性もスウェーデンやノルウェーの気候ではなく、日本の夏山で蒸れない設計になっている。北欧ブランドのウェアを日本の梅雨時期の低山で着ると、体感で分かるほど蒸れる。悪いウェアなのではなく、想定している環境がそもそも違う。
もうひとつ、あまり語られないが重要な話がある。人種による平均体温と基礎代謝の差だ。
北欧系の人間は、一般的に基礎体温が日本人より0.5度から1度ほど高い。寒冷地に適応してきた歴史が、発熱量の高い身体を作っている。最近、日本に観光で来ている白人が真冬なのに短パンや半袖で歩いているのを見たことがあるだろう。あれは小学生みたいに我慢しているわけではなく、基礎体温が高いから本当に暑いのだ。彼らが快適だと感じる温度域で設計されたウェアは、日本人が着ると微妙に寒い場合がある。逆に行動着として設計されたものは、日本人の発熱量だと保温力が過剰にならず快適に感じることもあるから、一概には言い切れない。ただ、ベースレイヤーの厚みの選択やインサレーションの充填量に、この体温差が反映されていることは間違いない。
モンベルは日本人の体型と体温を前提に設計している。袖の長さ、胴回りのフィット感、脇下のガセット処理。海外ブランドのアジアフィットがサイズチャートを調整しただけの場合が少なくない中で、モンベルは日本の縫製工場が日本人の身体のために型紙を引いている。この差は、一日十時間歩いた後の疲労感に出る。
そして2026年、無視できないもうひとつの壁がある。円安だ。
HOUDINIのアウトライト・フーディ。手に入れた時の価格は約3万円。モンベルのクリマプラス100ジャケットなら7千円台で買える。性能差がその価格差に見合うかと問われると、正直に言って揺らぐ。パタゴニアのR1エア・フーディは4万円を超えたし、Arc'teryxのアトムは5万円に届く勢いだ。1ドル155円という為替が、海外ブランドの服を「趣味品」の領域に押し上げてしまった。
モンベルの国内生産と国内販売のインフラは、為替の影響を比較的受けにくい。ジオラインL.W.は2,500円前後。ストームクルーザーのジャケットは2万円台。この価格帯で世界トップクラスの機能を提供できるのは、日本に本社があり、日本の気候を知り尽くしたブランドだからこそだ。
よくある誤解を一つ潰しておくと、モンベルが安いのは品質が低いからではない。広告費を極限まで削り、直営店舗の展開とネット通販で中間マージンを排除し、素材メーカーとの長期契約でコストを安定させた結果だ。ゴアテックスの採用実績は世界でもトップクラスで、ポーラテックとの関係も深い。同じ素材を使いながら、価格が半分以下になるのは、ブランディングと流通の構造が違うからに過ぎない。
それでも、と思う。
HOUDINIのあの滑らかな質感は、モンベルにはない。パタゴニアのR2が身体を包む感覚は、クリマプラスでは再現できない。Norrønaのシェルに袖を通したときの高揚感は、ストームクルーザーでは起こらない。道具としての満足度は機能だけでは測れない。着る喜び、所有する誇り、そのブランドが背負っている文化。全部ひっくるめて、ギアとの付き合いだと思う。
こだわりとロマンはある。十五年かけて集めた北欧やアメリカのウェアたちは、今も大切に使っている。手放す気はない。
ただ、もし誰かに一着だけ勧めてくれと言われたら、モンベルを出す。日本の夏山で蒸れない。日本の冬山で凍えない。日本人の身体にぴたりと合う。壊れても翌日に同じものが届く。そして財布が痛まない。ロマンはないが、これ以上ないほど正直な道具だ。
四十代のおじさんが着るにはちょうどいい、あのロゴの地味な安心感を、最近は少し誇りにすら思っている。
