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Thought / 2026-02-09

スマホが世界を小さくした

地球の歩き方とトラベル英会話、あの不自由だった旅の正体

スマホが世界を小さくした

掌のなかのiPhoneが、旅のすべてを予測可能なものに変えてしまった。

かつて、僕らの旅には黄色い表紙の地球の歩き方が欠かせなかった。背表紙が割れるまで読み込み、欄外の走り書きを頼りに、素性の知れない安宿の扉を叩いた。トラベル英会話のフレーズを心のなかで何度も反芻し、冷や汗をかきながらバスの行き先を尋ねた。あの頃は間違いなく、自分と世界のあいだに言葉という高い壁がそびえていて、それを越えようとする必死なやり取りがあった。

今は、Googleマップの青い点が居場所を教えてくれる。翻訳アプリに話しかければ、現地の言葉がスピーカーから滑らかに流れ出す。迷うことも、途方に暮れることも、現地の誰かと目を合わせて意思を通わせる必要も、ほとんどなくなった。旅は冒険から、目的地を効率よく消化する作業へと姿を変えた。

便利になったことで、世界は確かに小さくなった。

地球の反対側にいても、SNSを開けば友人の昼食が目に入る。Googleストリートビューで事前に街並みを確認し、予約サイトの口コミで失敗を回避する。はじめて訪れる街のはずなのに、どこかで見た既視感がつきまとい、発見の衝撃は薄れていく。不確実性が取り除かれた世界は、安全で、快適で、そしてひどく味気ない。

アラフォーになり、体力が衰え、子どもを連れて旅をする今の自分にとって、スマホは手放せない生命維持装置だ。子どもの機嫌をYouTubeでつなぎ、最短距離でホテルに着く効率は、もはや正義ですらある。けれど、効率を優先してスマホの画面を見つめる時間が長くなるほど、かつて目を焼いたあの強烈な旅先の景色が、嘘のように遠のいていく。

世界が掌に収まった代わりに、僕らは遠さという旅の醍醐味を失ったのではないか。

わざわざ時間をかけて異国へ行き、そこで日本にいるときと同じようにスマホの通知に追われ、効率よく観光地を巡る。それは果たして旅と呼べるのだろうか。

不便だった頃の旅にあった、あの心細さと高揚感。言葉が通じず、道に迷い、途方に暮れた果てに出会った誰かの親切。数値化も効率化もできない泥臭いやり取りのなかにこそ、旅の真ん中にあった何かが詰まっていた気がしてならない。

最新のテクノロジーを携えて世界一周をめぐりたい。けれど、いちばん警戒すべきは、この便利すぎる便利さなのかもしれない。画面のなかにある正解をなぞるのではなく、あえてスマホを鞄の奥に押し込んで、不機嫌な誰かに道を尋ねる。そんな、効率の悪い遠い旅を、もう一度取り戻したい。

インターネット大好きおじさんのくせに、旅では不便を楽しみたがる不思議。